前にもしたのと似た質問をします。
ヒーロー「そのもの」に一番大切なのは何でしょう?
美しい外見?…まあ、確かに綾部祐二が変身する仮面ライダーよりかは及川光博の変身するライダーの方がお母さんやお子さんは応援するでしょうね。
※綾部さんをdisる気はございません。板尾さんはコメディアンですのでシリアスシーンでも何故か私は笑ってしまうのです。
力?…まあ、それも確かに必要でしょうね。
変身アイテム?…ノーコメントで。
それよりも、ヒーローに一番必要なものがあります。
「愛」です。
…何?愛なら彼女たちにだってある?話は最後まで聞いていただきたい。
「ああ 心に愛がなければ スーパーヒーローじゃ ないのさ」
(「キン肉マン Go Fight!」より)
(「キン肉マン Go Fight!」より)
私がここで言う「愛」とは、労りと慈悲です。
もっと具体的に言いましょう。
「手が届くなら、手を伸ばす」ということです。
「どうにも こうにも どうにも ならない そんな状況になっている人を助けたい」という気持ちです。
歴代プリキュアを例にして説明いたします。
美墨なぎさと雪城ほのか。
日向咲と美翔舞。
夢原のぞみ。
桃園ラブ。
花咲つぼみ。
北条響と南野奏。
星空みゆき。
相田マナ。
彼女たちをプリキュアにしたのは、彼女たちをプリキュアの力に覚醒させたのは何か、思い出してください。
いずれも、「何も出来ない弱き者に振るわれる、理不尽な暴力への怒り」がトリガーとなっています。
その怒りを生み出したのは何でしょう?
弱き者を労る心があったからです。
弱き者を踏み躙る行為が行われているのを知りながら、
「仕方ないことだ」とか、「悲しいけど、これ戦争なのよね」とか言って見て見ぬふりするようではヒーロー失格なのです。
もしも「プリキュア5」で、ギリンマに殺されそうになっているココを見かけたのぞみが、自分の身の安全を優先して逃げていたら。
その場では助けていたとしても、敵に脅されたり、途中で嫌になったりして、ココたちのドリームコレットを守ることを放棄していたら。
もしも「スマイルプリキュア!」で、ウルフルンがキャンディを追い詰めている光景を見ながら、みゆきが恐怖の感情に任せてキャンディを見捨てていたら。
第1話で助けた後、「やっぱり面倒くさい」と言ってキャンディを追い出していたら。
あの作品世界は悪の軍団に征服され、滅亡していたでしょう。
ヒーローと呼ばれるべきかどうかは、
「自分に火の粉が降りかかるということ・命を張らなければいけないことを承知でも、弱き者を理不尽な目に遭わせている敵に対して喧嘩を売れるか、戦いを続けられるか」
にかかっていると私は思います。
「自分に火の粉が降りかかるということ・命を張らなければいけないことを承知でも、弱き者を理不尽な目に遭わせている敵に対して喧嘩を売れるか、戦いを続けられるか」
にかかっていると私は思います。
これを出来る人間が、それを続けられる人間が、果たして現実にどれだけ居るでしょうか?
ここまで書けば、私の言いたいことはご理解いただけたと思います。
彼女たちは、力があるからプリキュアなのではありません。
逆です。
プリキュアとしての「美しき魂」が最初にあったからこそ、力が応えてくれたのです。
そしてさっき言った「弱き者」とは、テレビに毎週映るメップルとミップルだったり、フラッピとチョッピのような「弱いレギュラーキャラクター」だけではありません。
いつ敵に襲われるとも知らずに生活している、名も無き一般市民もそれに含まれます。
ですが、「①世界観と実際の描写の乖離」の項目でも扱いましたが、
その「名も無き一般市民」が抱いていたであろう悲しみ・苦しみは、
ハピネスチャージプリキュアという番組では悉く画面の外に追いやられていました。
その「名も無き一般市民」が抱いていたであろう悲しみ・苦しみは、
ハピネスチャージプリキュアという番組では悉く画面の外に追いやられていました。
しかも描写されている限り、主人公であるハピネスチャージプリキュアの4人は、
自分の周りに、すぐ近くに居る人以外の悲しみ・苦しみに対して恐ろしいほど無頓着です。
確かに、あの4人の中で唯一変身出来るようになるきっかけが描かれためぐみは、自分の目の前で変身を解除されて追い詰められたひめを守ろうとしました。
これは確かに、歴代プリキュアの基準に照らしても十分変身する資格を得られる行動です。
しかし問題はその後。プリキュア「である」彼女たちの行動・思考です。
テレビのニュースで「世界のプリキュアたちがファントムによって続々と倒されて行き、世界の主要都市が次から次へと壊滅させられている様」を見ても、「私たちが幸せにならないと幻影帝国の思う壺!」などという無茶苦茶な理屈で、めぐみたちは助けにも行かず潮干狩りに行きました。
いおなをプリキュア墓場に助けに行った時、めぐみ・ひめ・ゆうこの3人は鏡棺桶に閉じ込められた周りのプリキュアたちを一切気に留めていませんでした。
姉であるまりあをファントムに封印された、キュアフォーチュンこと氷川いおなは、
「幻影帝国によって具体的に理不尽な目に合わされた名も無き一般市民の1人」としてひめを非難していました。
彼女は、「プリキュアだったから」という理不尽な理由で肉親を幻影帝国に奪われた1人です。
そんな彼女の物語上の目的は、姉を救うことでした。
ところが、そんな いおなも姉が解放された後は、ファントムの正体が妖精ファンファンだと分かった途端めぐみたちと一緒に彼を許していました。
…いや、「許した」というより「水に流した」、「なかったコトにした」と言うべきでしょうか?
いおな ならば、世界のプリキュアたちの「遺族」たちの気持ちが痛いほど分かるであろうにもかかわらずです。
何故、当の被害者本人たちの存在を無視してあっさりと水に流せるのでしょうか?
自分の肉親が解放されれば後はどうでもいいのでしょうか?
同じことは、ひめやミラージュにも言えます。
想像してみて下さい。
あなたが、幻影帝国の召喚したサイアークによってローンがまだ残っていた家を壊されたとします。
あるいはあなたが、サイアークによって家族を殺されているとします。
世界中に災厄を振りまいた張本人であるひめ。
それにより、間接的であるにせよ具体的に理不尽な目に合わされた名も無き一般市民大勢のうちの、たった1人に過ぎない いおな1人が彼女を許しただけで、
ひめは物語内で「全面無罪」になってしまったのです。
全ての黒幕レッド兄貴に操られていたとはいえ、幻影帝国のボスとして世界を滅茶苦茶にしたミラージュ。
彼女が何のお咎めも受けず、何の償いもせずのうのうと暮らしていられる理由は、たった1つ。
番組のレギュラーであるブルーの、恋人だからです。
彼ら彼女らは言わば、
毎週テレビに映るレギュラーとしての「特権」で許されています。
毎週テレビに映るレギュラーとしての「特権」で許されています。
一般人から見たら、そんなのたまったもんじゃありません。
世界中で幻影帝国から理不尽な被害を被った人々の悲しみを録に想像せず、
あまつさえそれをテレビ画面の外に追い出して黙殺し、
画面に映っている「レギュラー」同士の間だけで勝手に許しちゃうからこうなるのです。
要するに、この4人を含め、ハピネスチャージプリキュアのレギュラーたちは
「身内」と「好きな人」の利益や幸せは守っても、それ以外には全く関心がないのです。
「身内」と「好きな人」の利益や幸せは守っても、それ以外には全く関心がないのです。
私には少なくともそう見えます。
どこかで戦っている同胞たちを全く話題に上げないことや、
ハワイ遠征の時に現地住民の心配を全くしなかったのが、その根拠です。
ハワイ遠征の時に現地住民の心配を全くしなかったのが、その根拠です。
そんなやつらに地球の運命を任せたいとは、
私には思えません。
私には思えません。
…と、ここまで散々言って来ましたが、「じゃあお前はどうしろっていうのさ」と皆さんお思いかと思います。
というわけで次回は、"こうすりゃ良かった!「ハピネスチャージプリキュア」"をお送りします。お楽しみに。